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なんでもやってみよう

読書にチャレンジ!

私の宝物探しの1つに「読書」という宝物をチョイスしてみました。


40代も半ばに差し掛かった私ですが今更ながら無性に本が読みたくなったのです。
子供のころは、本が好きで図書館か家の中で本を読むときが一番楽しい時間でした。
でも小学校高学年くらいから自分の生活環境が大きく変わって、本を読む時間というのが中々取りづらくなり、中学生の頃には本を読むことはめっきりなくなってしまいました。

 

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それから以降においても(もちろん今でもそうですが)「生きていくこと」に必死で、あまりそういう時間や心の余裕がなくなりました。


でも40代半ばにして、ふと「このままでいいのかなぁ」と感じることがありました。

 


というのも、色んな人と知り合う機会が増えたのですが人と触れ合えば触れ合うほど 自分の話が伝わらないと痛切に感じることが多くなったのです。
また人と話していると自分の語彙力や説得力の無さに情けなくなることがあり、なんだかもどかしさを感じることが多くなったのです。

上手く話せなくてもイイけど自分の言いたいことは伝えたい。
私が思うことを最後まで自分の言葉で伝えたい。

そう強く思うようになりました。

ただ、正直なところ最後まで私の話をきちんと聞いてくれる人がどんどん少なくなってきたところもあります。
私が話していると「違うやん」「違うねん」「違うんですよ」と、話の途中で否定されることが多く、その人の話に耳を傾けていると、結局私の言いたいことは「違う」ことでは全くなく、むしろ それを言ってたんだけどなぁ、最後まで話せたらそういうことなんだけどなぁと思うことが多々。

話的には伝われば結果オーライなのですが、何か釈然としないものが自分の中に残ります。

また話している途中で
「つまり こういうことだよね」
と、自身が予測する結果に置き換えられてしまい、私の言いたいことを伝えきれないまま
「微妙に そうじゃないんだけどなぁ」
と思うこともあります。

これらの原因は、私の語彙力や表現が悪いせいで相手に伝わりにくかったり、最後まで話を聞く気になれないんだろうなぁと。
そう考えるようになりました。

特に相手が頭の回転が速い人だったり、また人間関係がうんと近くなったりすると私のような頭の悪い話し方ではイライラさせてしまうようです。
私は確かに頭が悪いのですが、話している途中で「あ もう聞いてくれてないな」という雰囲気くらいは察知できます。
話している途中で、相手が私の言おうとしていることをそこそこに理解・予測し、私の話の途中であってもすでに自分が話す内容を考えているのは感じ取れます。

それを感じると 余計にシドロモドロになってしまうのです。
相手によっては早く話し終えないと!と気が焦るか、もしくは「もう聞かないだろうなぁ」と諦めモードになってしまいます。
話している内容によっては「もう いいか」と心が折れてしまい、話す(伝えたい)ことを放棄してしまうこともしばしば。

そんなことが ここ最近多くなってきました。

昔、子供の頃は日々そんな感じでした。
母は厳しい人でしたし、姉たちは頭の回転が速く、私が話を何かの話を始めても最後まで「うんうん」と聞くような家庭ではありませんでした。
早く端的に、要件や要点を伝えろと急かされる家庭だったのです。

初めての職場でも、職人世界ということもあり、私(新人)の話は最初から聞いてもらえるはずもなく、基本 発言権は殆どありません。
ただ師匠や兄弟子の話を聞くだけ。黒いものでも師匠が「白」といえば、それは白だったのです。
個人的な話をすることがあっても 男社会の中では、やっぱり最後までゆっくり話を聞いてもらうということもなく。

それでも「母だから」「家族だから」「師匠だから」、ものすごく私のことを理解してくれていて私の言わんとするところは私以上に汲んでくれていることが多々ありました。
それが故に私は救われて、特に不満にも思わなかったのです。

だけど最近はそれに似た境遇も少なく、意図するところからハズれていたり、ハズれていなくても消化不良を起こすような会話が多かったりと自分のコミュニケーション能力の低さに辟易するようになりました。

そんなこんなで今さらながらですが、 本を読んで語彙力や表現力を培いたいと思いました。それ以外のモノも養いたいと思いました。
そして、いろんな人と色んな話が出来る人間になりたいなぁと・・・強く、強くそう思うのです。

40代半ばにして一念発起し、自分を変えたい・変わりたいと思うようになりました。
できるかどうかはわかりません。


でも Try Everything!!